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2009年12月

2009年12月23日 (水)

大雪その後

COP15(国連気候変動枠組み条約国会議)最中、この冬は暖冬傾向の報道を真に受けたわけでもなっかったが、14日からの大雪はすざましかった。この大雪は日本だけではなく、ヨーロッパ、アメリカ大陸まで及んでいる。

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            12月19日 朝 約65㌢

一過性とは思うことだが、難航したCOP15とクロスしての大雪に複雑な思いがした。それにしても降り出した雪が、休みなく降るのは珍しいことだ。この間富士山で遭難があり、庄内鶴岡市の中心部で83㌢積雪の報道には驚いた。秋田でも雪は多い方の当地区は65㌢前後で他の地区と比較してもそれほど驚くほどの雪ではなかった。                                                  

  091223_001                                      モミジの実をついばむスズメ            

この間、初雪から40日後の大雪で「スズメ」など小鳥のえさ場が雪におおわれ、庭木のモミジに数羽飛んできて残っていたモミジの実を、雪を落としながらついばむ姿が見られた。面白いことに普段は里山の沢などで見られる「ミソサザイ」が雪なると必ず庭の「オンコ」の茂みにくる。昆虫やくも等や沢ガニを食べると言う「ミソサザイ」。             

ミソサザイという名前の由来はミソはミゾ、溝の事であるらしい。サザイはササイ、些細。
つまり溝些細。谷筋の溝に現れる小さい者と言う、ミソサザイとなるのだそうだ。体長11㌢程の鳥。体が小さいから動きもすばやい。雪が積もると「オンコ」の茂みに何か昆虫がいるのだろうか。今年も二羽間違いなく飛んできたがまもなくどこかに帰って行った。                             091223_007_3                                                                                                                     

                    12月23日 朝 

一週間ほど続いた雪降りも、この週の初め頃から落ち着いてきた。              23日やや暖気がきて庭木の雪が落ちると、他のエサ場も雪が少なくなってか、「スズメ」も「ミソサザイ」も来ることはない。この冬も何回かこれも繰り返すこととなる。

大雪で近くのスキー場ではスキー場開きと同時に滑走できたそうだ。例年だと雪のないスキー場開きで関係者は毎日のよう空を仰いでいた。今年はこの雪で大いに満足しているようだ。                                                 しかし、大きなブームの過ぎてしまったスキー人口。今年も混雑するほどの集客は期待できそうもない。それでもこの年末、年始市の中心部から数分の稲川スキー場は束の間(つかぬま)の賑わいになることだろう。

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2009年12月16日 (水)

本降りの雪

走到来                                                     師も走るくらい忙しいなど解されているが、農事をすべてを終えたという「仕果す」が語源と言う説もある。                                              「仕舞う」は年末の決算を済ませること、万事なし終えて片付くことを言うそうだ。

当地区14日夜からの雪降り、15日早朝3時半頃この冬初めての除雪車が出動、本格的な雪の季節となった。冬は雪は当たり前の世界。雪のない冬の生活は楽なのは当然だが、降雪でことごとく風景を真っ白に染めてくれると何かしらホッとする。

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        12月15日窓の外(15㌢)

昨日から雪は健在だ。約30センチあろうか。昨日の倍は積もったろうか。今も静かに下りてくる。雪が降り続いても特に寒さは感じない。湿り雪だ。

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    12月16日前日と同じ場所の雪(30㌢)

たった一日でこの積雪。                                           初雪は11月3日でこの雪はすぐ消えてしまい、その後雨はあったが比較的暖かい年の暮を迎えていた。この冬のこの時期、この地域で「雪起こし」と言う雪を告げるカミナリは無かった。12月のカミナリは「ハタハタ」が豊漁と言われていた。奥羽山脈の麓にいてもカミナリがなると遠く海を思い、ハタハタ漁を連想してきた。日本海では今年もカミナリは健在だったと見える。今年のハタハタは魚体も比較的大きくかったがもう漁は終りに近づいたことだろう。

写真で見ると大雪に見えるが、寒さもそれほどもなく静かな日が続いている。雪には「彗」に通じ「すすぐ」の意味があって、もともと「彗」の字は竹のほうきを示し、地上のものをはいて除く、清める意味だそうだ。

雪のないこの季節より、雪のある風景はそういう意味で何かしらホッとする。もしかしたら、この雪はたぶん根雪となることだろう。大雪や豪雪は歓迎しないが静かな雪の季節の到来は、なぜか心を豊かにする。

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2009年12月 5日 (土)

坪漆と杉の枝うち

小春日の一日、久しぶりに杉の枝うち作業をする。枝うちなどと言うと大そう大げさな作業を連想するが、「枝うちクラブ」という道具で杉枝に引っ掛け引っ張るだけ。地上6~7mの高さまで作業が可能なのだ。あまりの好天で10数年ぶりに始めたのだ。集落からすぐの里山、通称「かしかざわ」(ブログの語源の地域)がすぐ下側を流れる。                           字名を「外坪漆」と言う。この珍しい地名は自分が調べる範囲では全国どこにもない。

総面積せいぜい4ha。地引絵図に空白で地番がない場所がある。

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    写真中央部から左側上部白い部分

明治新政府が地租改正のため地引絵図を作成した。各字毎、地租改正取調係戸長、地租改正総代人、区長、隣地接続人の他持ち主総員の捺印で地番、持ち主名が記されている。地引絵図で地租は評価額の3%。この改定で各地に混乱が勃発。山形県庄内の「ワッパ一揆」は有名。しかし山林の地引絵図は複雑でおおざっぱだったらしい。他の地引絵図での空白の場所は畦畔、水路等と同様は新政府預かり(官地)となっているようだ。

坪漆のこの場所は私の杉林の隣地にあって、杉林になっている。区画が他の地番と違って直線で括られていて、何か特別な場所のようにも思える。傾斜5度にも満たないこの区画がいつも気になる場所だ。120年程前のこの地引絵図の作成を知る人は地域にいない。

それにしても不思議な地名「坪漆」。

ネット検索で「坪漆」と検索すると中国語では床塗料」となり、「公司」の宣伝記事が並ぶ。

坪は「たいら」、漆は「ペイント」いかにも優れた凹凸がなく平らに仕上がる塗料と言う意味になるのだろうか。坪漆の地名に床塗料というイメージはわかない

中国語との関連はないことぐらいはわかりつつもどこから来た地名なのか興味は尽きない。

当地区には800年の伝統という川連漆器の産地だが、うるしを連想して「坪漆」と「漆器」との関連はなさそうだ。

この地を我が家の所有になったのは明治以前には違いはないが、詳しい記録は残っていない。  今の時代もこの地引絵図による地番、地積は生きている。地租改正時の地引絵図について「公図 読図の基礎」佐藤甚次郎著に詳しいと言うがいずれ調べてみたいものだ。

「坪漆」での我が家の山林は約1.2aほど、雑木林は10aほどであとは杉林。約45年生、一部35年生の杉の木が今回枝うちの対象だ。

戦後、林野庁による拡大造林の方針の元で強く進められた杉の植林。今では各地で木材価格の暴落で山林の手入れをする人はほとんどいない。特に国有林で放置された杉林はひどい状況だ。間伐はおろかツルのカラマリ、下草も育たず薄暗くなったしまった植林地は見る影もない。我が里山は可能な限り間伐作業は森林組合へ委託、自分のできる範囲は少しでもと枝うち作業などしてきたら株下に陽があたり、ヤマユリ、ホウチャクソウ等の山野草が見られるようになった。

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        枝うち作業後の状態     

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